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G.B.K。BAND. The JumBle Box →https://youtube.com/channel/UCiqDmFuYSm26YqTzUrc3L4Q


※当店はFacebookページ.その他全てのSNSを一切使用しておりません。公式なものはこちらのホームページのみですのでどうぞ誤解のないようお願い致します。

営業日について♦


定休日 月、火


9月28日(日) 貸し切りの為14時~の営業となります。 宜しくお願い致します。

2025年8月26日火曜日

THE. EEENNMMAA

8月。
夏の最盛期後半にあたる"お盆"

ビカビカと容赦なく照りつける太陽の下、ふとぼんやり 盆 "この頃" について考えてみる。

お盆。この頃にやるべき事。
それはやはり<お墓参り>ではないだろうか。

日本に生まれ育った人間は、お盆には地獄の釜の蓋が開き、先祖がこちらへと戻ると教えられたりしている。よってこの時期、皆こぞってぞろりぞろりとお墓へと出かけ、ご先祖さんにどうもどうもと挨拶を済ませる。
このひとつの行動がなんとなく毎年恒例の習慣として身体に浸透しているはずだ。

そこで、ふと思ったのだ。
実にシンプルな疑問だ。 

なぜお盆に地獄の釜の蓋があくのだろう?



「広辞苑 第七版」によると、「正月と盆との十六日は閻魔にお参りする日で、鬼さえもこの日は罪人を呵責しないとの事。殺生の戒めに用い、またこの日を薮入りとして、住込みの雇人にも休養を与えた」とある。「薮入り」とは「奉公人が正月および盆の十六日前後に、主家から休暇をもらって親もとなどに帰ること」
を指す。

つまり、
"閻魔も休んでいるからその隙に地獄の釜が開く。そしてその隙をついた亡者達は今だ!戻ろう!と、こちら側へ帰還する。そして閻魔の仕事開始<お盆開け>前には、まずい!さあ戻ろう!と、地獄へと出戻りすると言う事らしい"

と、言うことはだ。
皆が知るあの閻魔の地獄での生活の"アレ"は全て仕事としての"コト"である。と、言うことだ。
そして彼は、24時間365日フル稼働(正確にはお盆休み以外)と言う途方もない暮らしの中にいるのである。
そんな彼の唯一の休暇が"お盆"であるわけだが、いやはや驚いたのは閻魔がそんな過酷な環境に身を置いていた事実、の方ではなく、彼が "休暇" を欲しがっていた。こちら側の事実についてではないだろうか。

僕にとっての"閻魔大王"の印象は
とにもかくにも"最強" の存在であり



"閻魔様~。ご飯が出来ましたよー"

メシ?いや、いらねーよ!そんな暇があるなら罪人の舌を抜く!!さあ罪人はどこだ!?

"閻魔様~。お布団のご用意が~......"

睡眠?いや、寝ねぇーっつーの!そんな暇があるなら舌を抜かせろ!さあ、罪人はどこぉぉー!??

"閻魔様~。時にはリフレッシュも必要では...。どこかにお出掛け等どうでしょうか~?"

あ?たまには遊びにだと!? いやいや!いかねーよ!そんな暇があるなら舌を抜かせろぉお!!
はい!罪人はどぉこでぇすかぁぁあ!!?

と...休む事なんて興味無し、とにもかくにも常時パワフルに罪人を探し続けている。そんな印象であったのだ。



そんな彼も、人間と同様、ふとした時、思ったのだ。

"あー。なんだか俺、疲れたな。"

と。

そう思ったらなんだか、閻魔大王も可愛らしく思えてくるものである。



......


8月の最盛期。寝不足でよく回らない頭を抱え、ふとぼんやりこんな事を考えていた。

暑い。暑い。暑い。
疲れた。疲れた。疲れた。

こんな声が日々、日常的な会話の中で多用されている昨今。
閻魔ですら休むのだから、皆様も"のんべんだらり"ぐうたらと、夏を楽しくゆるく過ごせていることを願っております。



さてさて8月も残り僅か、最後の最後まで夏を楽しみましょう。。。

では、 さよーなら

2025年7月30日水曜日

これからの事は

夏が来た!!
さあ、なにをしよう!!!

"僕は夏が大好きなのだ"
毎度こんなニュアンスを皆に伝え歩いているのですが。

さて、ではあなた、夏と言うこの節をどう過ごしどう楽しんでいるのですか?
そう問われる事が時としてたまにだが、ある。

そう問われふと考えた時、僕は夏に何を期待し、なにをどう楽しく過ごしているのだろうか。よくよく考えてみると、皆目わからなくなったのである。

"私は、夏のこう言ったところに非常に好感をもっているのだ"

お祭りや海、スイカやそうめん おまけ程度で言えば昔からオカルトに多少ひかれるモノがあるので幽霊さんとの交流もオツである


なんとなくであればこんな感じで例をあげられる。
だが、この夏に対する事柄を紐解いてみると



夏の夜の雰囲気を肌で感じ、香具師から購入したヤキソバを食べながら花火を観覧。 あー、最高じゃないか。と締め括る。
そして帰宅後 人混みと暑さにやられた僕は 
"いやなんか疲れたわ。しばらくいいわ"
こんな雰囲気で祭りは終わる。

夏のギラギラとした太陽に照らされ輝く海面。
それはそれは美しく、力強いエネルギーを我々に与える。その辺で適当に購入したアメリカンドッグを片手に海辺をだらりだらりと歩く 
あー、最高じゃないか。と締め括る。
そして帰宅後 "野心家の政治家"くらいギラツキすぎた夏の太陽の暑さにやられた僕は
"いやなんか疲れたわ。しばらくいいわ"
こんな雰囲気で海での1日を終える(なんなら僕、金槌である)

優しいグリーンのボディにチャーミングで独特な波打つストライプ姿、丸々とした大きなフォルムは逞しくもあり可愛くもある。包丁で一刀両断し真っ二つになった内側の果肉にはほんのりと赤みがあり、爽やかでしつこくもない絶妙な甘さが広がる。
その魅力に翻弄される僕は、あー、最高じゃないかー と、毎年"ソレ"を丸々7、8個は食べるのだ。

そして毎度、水分量を過多に摂取しすぎた僕は
"腹がいてぇ....もう、しばらくいいわ..."
こんな雰囲気でスイカとの付き合いをやめる

ツルツルとして歯切れも良く、クセもなく美しい程に白く細長いソレ。 
大量に茹でたソレをキリッと冷たく仕上げた"めんつゆ"につけ、風鈴なんかをぶら下げた軒先で風情たっぷりにズルズルといただく。 あー 最高じゃないかー

だが突然、その時は来る。
茹ですぎた"ソレ" に急激に飽きるのだ
そしてやはり
"もういいわこれ、しばらく、まじでいいわ" 
こうしてそうめんとの関係はここで終わる。

やべぇよ。ぜってぇやべぇって!!!
"心霊スポット"なる場所で雰囲気に飲まれ、そよ風による木々の優しい揺らめきに恐怖をおぼえシャウトし続けた僕らは2、30分後、皆で我に帰り誰ともなく "さて、帰るか" と散り散りに帰宅。

"ただの風だよな、これ" 
この一言を飲み込み、皆が興醒めしないよう空気を読み続けた2.30分。

この事実に大変に疲れ
"なにしてたんだろ俺。もうしばらくいいわ"
こうして霊界との交信はここで終わる。



と、 結局全てにおいて異常な"疲労"を感じ"もういいわ" とネガティブな気持ちで全てを終えている気がするのだ。

だが、それでもなお、またしても僕は お祭りに出かけ、海を見てスイカとそうめんを食べるだろう。そしてあわよくばの期待を込め霊界との通信を計るだろう。

そして今年もまた"もういいわ"と締め括る。
結局、僕の中にある夏の魅力と言うのは
妙に高ぶる期待が結局のところそうでもない結果として終わる。この慕情的な結果に対してのモノである様なのだがこれはまさに、生きている限り誰もが必ず連続して直面しなければならない太極図に似ているのではないだろうか。 人は何かに期待し行動する。そしてポジティブな結果を得る。
やがてその楽しかった物事は過去のものとなり次には苦しい、または悲しいネガティブな結果を受けとる順番がこちらに回ってくる。
このループの中で我々は生きているのだが、夏と言う季節はこのスピードが妙に早い気がする。

その加速度によって、"生きている" と言う実感を強く感じる事が出来る季節なのかもしれない。
だから僕はきっと夏が好きなのだ。




と、我ながらなかなかに哲学しているんじゃないか? などと満足気な表情を浮かべた僕は、このブログを締め括る前にアイスコーヒーでも飲むか。と1度パソコンを開きっぱなしにしたままコンビニへと出掛け、いざお店に戻るとなにやらオヤジ(実の父親)が 僕のパソコンの前でソワソワとコカ・コーラを飲んでいた。

お、なにしてんの? と声をかけると

こうた ごめん
なんかわかんないけどここにお前文章みてえなの書いてただろ? それ消しちゃった


唖然としている僕に親父は続けて言った。


ごめんなぁなんだか暑くてフラフラしててさぁぁ。
あ!でもさぁ、お前の文章超意味わかんなかったぞぉおお。 つまんねえしさぁあ。だからまぁ、また書き直せよな! じゃぁなぁぁ~

.................................................

これもいつか、夏が見せてくれた素敵な思い出になるのだろうか。 

......


夏、到来です。
楽しんでいきましょう。 ではさよーならー

2025年6月26日木曜日

知ってただろ? なぜここにいるのか

6月、来月は7月。と、言うことは、夏が来ると言う事だ。

何を今さら、そんな当たり前の事を。一体全体何が言いたいのだ。
特になにか言いたいわけではないのだが、何を隠そう僕は"夏"が大好きなのである。

夏に関わるもの、その全てが大好きなのだ

海 スイカ 祭り

ありとあらゆる"夏"を感じる成分の虜なのだが今年はどんな夏になるのだろうか



ある夏の日、僕は山形県内の豊かな夏景色に浸りながら、国道を車で走行していた。

しばらく走っていると、"尾花沢スイカ" とダンボールに手書きで書かれた手作りの看板が目に止まる。その脇には軽トラックに山積みになった大量の美味しそうなスイカが売られていた。 
瑞々しく美味しそうなスイカの魅力に負けた僕は、そのまま車を停車し、スイカを物色させてもらうことにした。 すると、一台のセダンが背後に停車した。
セダンから徐におりてきた男もまた、やはり同じくスイカを物色しはじめた。

するとその男。

"え!こーた?こーたか!?なにしてんの!?こんなとこでー!"

同級生kにたまたま遭遇したのである。

僕は
"おぉ!なんだなんだ!kじゃないかー!………"

と、適当な会話を続け、お互いにスイカを購入し別れた。

僕はこう言った思わぬところでの再会が非常に苦手なのだ。 なぜか? それは、どこで遭遇したにせよKに限らずほぼ全員必ず 

"こんなところで何してんだよー!?"

そんな問いがくるのだ。
皆様も経験はないだろうか?

今回の場合 軽トラックにスイカを積んだスイカ売りの目の前で遭遇。

て、事は こんなところでなにしてんだよー!?
この答えは

"スイカを買おうとしている"
この一択である事は明白であろう。

ある時はバッティングセンターで

こんなところでなにしてんだよー!?

"バッティングをしているのだ"

またある時はお花見会場で

こんなところでなにしてんだよー!?

"お花見をしています"

またまたある時は歯医者で

こんなところでなにしてんだよー!?

"治療してんだよアホが"



と、様々な場面で 明らかに答えが明確な状態での
"こんなところでなにしてんだよ"ウイルスが蔓延しているのだ。
だから僕は、誰かに思わぬところで遭遇したとしても "こんなところでなにしてんだよー?" 間違ってもこの問いかけだけはしない事を心掛けている。いや、これは心掛けているレベルではない。決意しているのだ。 もはやこれは、決意表明なのだ。

.............................................................

ある夏の夜。僕は異国の寺院にいた。
普段とは違う環境にも少し慣れ始め、食べ物や飲み物、そう言ったモノへの警戒心が緩まり始めた頃、僕は"何か"にあたった。
何を食べても吐く、下す。それを繰り返し衰弱した僕は、もはやこれまでか。と、大袈裟なまでのマイナス思考に支配され酩酊状態に陥る、重すぎる身体をフラフラと引き摺りながらなんとか辿り着いた不思議な青い大きな寺院。入口付近の土産物屋の脇で横になっていると袈裟のようなモノに身を包んだ、目の大きなゴボウの様に細長い男性が僕にほにゃらほにゃらと問いかけてくる。(全くもって理解できそうにない言語であった)
男性の所作を見ているとどうやら寺院で休みなさい。そんな言葉をかけてくれている様であった。

案内されたのは狭く埃っぽい土壁のほこらの様な部屋で、その部屋の隅にはぽつねんとベッドの様な寝具が置かれていた。どうやらここで休めとの事らしい。
衰弱しきっていた僕は、考える事も面倒でそのまま休ませてもらうことにした。

大きなヤモリに身体を這われながら、その不快感で目が覚めると、外は明るく朝になっていた。

部屋から出ると、法衣に身を包んだ昨日とは別の男性が箒で掃除をしているところだった。
そして、振り返った彼は僕に

"おはようございます。目が覚めましたか"

え? 突然の日本語での問いに驚きながら彼を直視してみると肌の色や凹凸の少ない愛嬌のあるフェイス。身長も小柄でなにやら日本人の様であった。

"本当にありがとうございました。少し体力が戻った気がします。ところで、もしかして日本人ですか?"

"ハハハ、そうなんですよ。実は僕はほにゃらほにゃら...."

彼はどうやら、日本ではエリート商社マンとしてバリバリと働き、出世街道まっしぐらを華麗に突き進んでいた。だが、ある些細な事をきっかけにグラリとその道から蹴落とされてしまう。それを皮切りに、仕事やプライベートでも様々な問題が山積みになっていった。その結果、彼は疲れ憔悴してしまった。
そして今、遠く離れた異国の地で僧侶となり人生をやり直しているとの事であった。

彼との心地の良い日本語での会話に、どこか懐かしさの様なモノを感じ始めた頃、僕は彼に対し、一抹の違和感の様なモノを感じ始めた。

"見覚えがあるのだ"

異国で日本人にあまり遭遇していなかった為の日本人としての"見覚え"であるのか。そう思っていたのだが、イヤ違う。 僕は彼に、いつか、どこかで会っているはずなのだ。

なぜなら僕は

"彼にかなり見覚えがあるのだ"

あの、どこかでお会いした事はありませんか?

薄く微笑んだ彼は
"わたしも先程からなにやら見覚えのある方だなと思っていたんですよ。失礼ですがご出身はどちらですか?"

僕が出身地や年齢を告げると彼は驚き

"なんと!わたしの出身地と同じだ!しかも年齢まで!"

僕は

"ぇえ!?僕の名前はたかはしこうたと言いますがあなたの名前を教えていただけますか?"



"えええ!!こーた!?俺はH.Yだよ!!!わかる!?"



"ええぇええ!!えぇいちわぁいいいぃ!!??"

そして僕は言った

"こんなところでなにしてんのぉおーーー!?"



………………………………………………

と、架空のストーリーを拵えて思うのだが
この位の遭遇エピソードでもない限り、僕は"こんなところでなにしてんの?" この台詞は言ってはいけないのでは? その位、特別な言葉なのではないのだろうか? そう思っている。

そんな事を1日中夢想していたら、今日と言う日が終わりそうである。僕は1日、何をやっていたのだろうか。

こんな自堕落な1日でもまあ、良いじゃないか。
なぜなら、これから"夏"がはじまるのだから。

さあさあ夏がはじまりますよ。
皆様にとって、それはそれは楽しい夏でありますように

ではでは。さよーならー

2025年5月27日火曜日

devil's advocate.

宿題やったの!?

"あーもう今やろうと思っていたのにその一言でやる気なくしたわ。もう無理。やらないわー。やろうと思ってたのに"

こんなやり取りが小さな頃度々ありました。

宿題をやったかどうかの確認をせまる親に対し、タチの悪い理不尽な言葉で切り返す僕。

だが最もタチの悪い事、それは僕のこの理不尽な切り返しではなく、この僕の切り返した言葉が"真実である"と言う事実である。

…………………………………

人間と言うのは時として不思議な衝動に駆られるもので、普段絶対に実行しないであろう行動を、時、稀にしてしまう

突然の部屋の掃除。

忘れたフリをしていた得意じゃない人への連絡。

いつか行こうと思っていた近所に出来た飲食店への訪問。

そして冒頭にも書きましたが、 まあなんとかなるだろう。とギリギリまで放置した宿題。

等々...

例を挙げればきりがないほどに、我々は実に様々な"普段面倒でやらないこと" に日々囲まれて生きている。

そして驚く事に、上記に記した通りこの"普段面倒でやらないこと"を突然に自発的にやろう!と言う衝動が1年のうち数回訪れたりする。
だが、そんな時は決まって"誰かの一言"により意気消沈させられてしまったりするのだ。

不思議だ。これもいわば宇宙の摂理とでも言うのであろうか。

遡る事今から約14年前。

僕はある決断をしようとしていた。
東日本大震災の影響で僕は"無職"になっていた。

このままではいかん。そんな日々を悶々と過ごしている中、僕はある事に夢中になる。

それは"フリカケ"を作る事だった。
なぜか?理由は今でもわからない。なぜか当時の僕は、それをする必要があったのだ。

しかも様々な種類のフリカケを作るのではなくド定番の"カツオブシ"これ一択のフリカケを呪われた様に作り続けていたのである。

そんな不気味なルーティンに苛まれ続けていたある日。ふとこう思った。

これ、いける。
"フリカケ屋" やろう

僕のフリカケに対する向き合いかたは常人の域を越え、寝ても覚めても"カツオブシ"の事が頭から離れなくなっていた。その原因不明の呪いのおかげで、やがて僕の作るフリカケは自画自賛だがとてつもなく美味しくなっていた。いや本当に、ご飯にかけて食す度に脳が揺れる程だ。


そしてある時、このフリカケを誰かに食べてもらおう。そう思い立ち近所に住んでいた同級生のMにその旨を告げると二つ返事で "今から食いにいくわ"
そんな返答をもらい彼を待つ。

Mは友人の中でもトップクラスに頭が悪く(僕も含めまあみんなバカばかりなのだが) 所謂一般的な試験(5教科)で言えばTotal100点以上を取った事がなかったり、カップヤキソバの湯切りを最近まで知らず、湯切らずに薄いソース味のラーメンとして食していたり、視力2.0だったにも関わらず、なぜかメガネに憧れ父親のメガネ(ちゃんと度入り)を勝手に拝借し、かけ続けたところしっかりと視力が悪くなり最近レーシック手術を受けたりと、まあとにかく、奇行が絶えないバカな男なのだ。
(そもそも成人男性がフリカケ食いに来ないか?の問いに対し二つ返事で"今から行く"この返答自体がバカまるだしではないだろうか)

そんな彼が僕のフリカケを食べて開口一番こう言った。

"うめえ。店やれよ!こーた!"



言われてしまった。
そう。 僕が言う前に、言われてしまったのだ。
しかも、この男、Mに。
僕の心の中で僕が僕へ

"あーあもういいわ。せっかくやろうと思ってたのに。やる気なくしたわ"

そう告げた。

幼い頃からの恐ろしい病。

仮名として命名 "先天性天の邪鬼症候群"

ようやく重い腰を上げ、ある決断を実行しようとした時、誰かの先手の一言で意気消沈してしまうと言うこの奇病。

そのせいで僕は"フリカケ屋さん"をオープンさせる事を諦めた。

………………………………………………………………………

そして時は流れて今、2025年現在
僕は細々とカフェを経営させていただいている。

そして思う。



"まじでフリカケ屋やんなくてよかったぁあああっぶねぇえええ!!!!!つーかフリカケ屋ってなんだよおいおい!!!多分客こねぇえええ!!!!"



と。



幼い頃からの悩みの種でもあった 
"先天性天の邪鬼症候群" 

これに助けられる事もあるものだ。と痛感しながら生きている今日この頃。

皆様にも多かれ少なかれ、そんな天の邪鬼な成分が含まれていたりするのではないでしょうか?
もしもそんな自分に嫌気がさすことがあった時、
時としてその天の邪鬼な自分が正しい道筋を導き出すこともあるのかもしれない。

そう思ってくれたら幸いです。



いつにも増してなに書いてんのかよくわからなくなってきたのでこの辺で。

それではみなさん
さよーなら。

2025年4月28日月曜日

THEE LOST DAYS.

はい もしもし。 

こちらレンタルビデオショップ○○埼玉店 の ○○と 申しますが 高橋様の携帯電話でよろしかったでしょうか?

えぇ。そうですが

………………………………………………………………

あの日僕は、なんとなく荒んでしまっていた自分の心を沈静させる為になにをするべきなのか。そんな事をぼんやりと考えていた

仕事であまりにも疲弊していたわけでもない。
プライベートで大問題を抱えていたわけでもない。

...特段なにかがあったわけではない。だがなぜだろうか、なんとなく僕は "疲れていた" のだ。

そんなある日、お休みを利用し、遠い昔住んでいた街、東京へと出掛けた。 
宿泊先は縁もゆかりもない、そして当時近県ではあったが、結局殆ど立ち寄らぬままだった"埼玉" に決めたのだった。 

なぜこんなにもパッとしないのだろうか。
僕はあの日、逃げるようにして辿り着いた東京の街をただただ歩き続けた

歩くのはいい。思考をクリアにしてくれる。前向きにならないまでもどんよりと膜が張った僕の頭の内部を優しくクリーニングしてくれる。
昔からうすぼんやりとした憂鬱を慢性的に抱えている僕は、幼少期からこの"散歩"と言う行為で平静を保ってきた。
今回もまた、散歩に身も心も委ね平静を取り戻しつつあった。

散々と歩き少し疲労してきた頃、宿泊先に選んだ宿へとチェックインする。
その宿は "綺麗 豪華" とは程遠く、築年数も中々に経過し、少し狼狽した様相のホテルで、郊外に出るとどこにでもあるような草臥れた宿だった。

僕に用意された部屋には寝具以外特段なにもない、良く言えばシンプル、悪く言えば簡素でつまらない空間であった。
唯一テーブルの隅に色鮮やかなブルーカラーのDVDプレーヤーが所在なくぽつねんと置かれている。
"ソレ"は、なにもない部屋には妙に浮いて見えた。



目的もなにもない休日の逃避行。
なんの責任もなく毎日をお気楽に過ごしていた少年時代を彷彿とさせるこの時間に、妙な高揚感と安堵感を抱き始めていた僕は、更に童心へと帰化したくなり当時大好きだったアニメでも見てみよう。そう思い立った。

目の前の"砂漠の中でみた蜃気楼"の様な存在感を放ったプレーヤーを眺めていると、

"そうするべきだ" と

強迫にも似たような強い言葉が僕の頭の中で囁き始めていた。

近くにレンタルビデオショップがあるのかどうか検索してみると、宿から徒歩数分のところにレンタルビデオショップを見つけた。

そこはどうやら、今時分とても珍しく"個人"でやっているお店であった為、更に気分は高揚した
店名は一応伏せておくが仮名として

カオススカイ埼玉店(仮) としておこう

(今時DVD等をレンタルするとなれば皆様の頭には恐らくTSUTAYAかGEO。この2択くらいしか思い浮かばないのではないだろうか)

早速カオススカイ埼玉へと向かう。
辿り着いた店の外観はなかなかに年期のはいった外壁に囲われており、建物自体もなかなかのヴィンテージ感。個人的にはそこもかなりの好印象であった。早速店内に入ると、そこには想像通りと言えば相違ないがそれにしても異質な世界が広がっていた。

店内は異様に空白のスペースが多い
と、なると必然的にレンタルDVDの品数が、相応に少なくなる


遠くない未来、ここは閉店してしまうのだろうか。


俺はDVDが好きだ。
だからいつだってどんな映像だって、DVDを通してじゃなければ視界にいれてやらないのさ。わかったか?
わかったのならこの俺ですら知らない新たなDVDをよこせぇぇぇぇえ....

そんな猟奇的なDVDコレクターがいたとしたら、恐らくソイツの自宅よりもDVDの本数は少ないであろう。
そんな意味不明な架空のキャラクターまで作ってしまうほど品数が少なかった。

まあいいさ。
なんとなくの時間を過ごせればいいのだ。
非の打ち所がないほどのクオリティ作品を求めているわけじゃない。
なんならその逆だ。
おざなりに作られたざっくりと適当な代物くらいが丁度よいのだ。
その方がより童心に近いってものだろう?
大人になってしまった我々は
より楽しいものを
より美しいものを
より美味しいものを
より..........

と、求めるものが大きくなりすぎた結果、むしろ楽しむ事がヘタクソになってしまっている。
幼かった頃は、どんなものでも楽しく。どんなものでも美味しく。どんな風景をも美しく感じられたものだ。

よし。ならば適当に選んでしまおう。

と、手に取ったのが

"ドラえもん のび太のドラビアンナイト"

であった。
レンタルを済ませ意気揚々宿へと戻り、早々にDVDを見る。

................................

はは、ははははは
つまんねぇぇ!つまんねーよやっぱ。

だがそれでいいのだ。つまらない。この状況が面白いのだ。内容なんてどうだっていい。
事実、それを見ていたら心がなにやらぽかぽかと、穏やかになっていくではないか。
凍りついていた疾患が少しずつ溶解しはじめていた。

はははははははは。 やっぱつまんねーよ。

だが幸せだ。最高に楽しい。つまらないの中に最高の楽しさがあったのだ。幸せはある意味お金では買えない。一瞬の刹那、僕はそう確信したのである。



そんなふわふわとしたユートピアでの時間はあっと言う間に過ぎ去り、間も無く僕は仙台に戻った。

…………………………………………………………………………

1ヶ月後

僕の携帯電話に見知らぬ電話番号からの着信が入った。

はい もしもし

こちらレンタルビデオショップカオススカイ埼玉店 の ○○と 申しますが 高橋様の携帯電話でよろしかったでしょうか?

えぇ。そうですが

大変恐縮ですが当店でレンタルされている 

"ドラえもんのび太のドラビアンナイト" が未だ返却されていないのですがお心当たりはございますでしょうか?

僕はしばらく沈黙し、オーギュスト・ロダンの代表作"考える人"と類似するポーズでしばらく思考を巡らした

数秒後...僕はゾッとした。

なぜか? 悲しいくらいに心当たりがあったからだ。

そして思い出したのだ。あの日の事を。なぜ今の今まで忘れていたのだろう。あのDVDを返却していなかった事を!!おおジーザス!!! 

僕は返答した

"はい。心当たりがあります本当にごめんなさい忘れてました"

"かしこまりました。それでは延滞料金についてご説明させていただきますね"

ぐぅぅ...利き腕の拳を全力で握りしめ下唇を強く噛み締める。
秘密工作員として乗り込んだ先の国家に拘束され拷問に耐え続ける気高い男の様な表情だ。

やべぇ。いくらなんだ。

"ちなみに当店ではレンタル商品の延滞金については上限がありまして..."

ハ、ハレルヤ!!!
上限があるのか!て、事はだ。
"駐車料金のこの時間以降は一律この値段でストップです" あの夢の様なシステムがこのレンタルショップにも適用されると言うことだ。助かった。だが上限額はいくらだ。さぁ、先を教えておくれ。

"当店では延滞金の上限として最大¥26000とさせていただいおりました。なのでそちらの金額のお支払いとドラえもんのび太のドラビアンナイトの返却をお願いしておりましたが返却予定日はいつ頃になりますでしょうか?"

いやたっけぇええええぇええぃ!!!!
ジーザス!ジーザス!!ジーザス!!!!

僕は心の奥底で僕自身を蔑み侮蔑した。

¥26000と言うアホンダラな延滞金を産み出した所業に... そして¥26000の延滞金を産み出した象徴的作品が"どらえもん"だと言う事実に!!!

それと同時にひんやりとした冷や汗が首筋から背中にかけてゆっくりと伝っていった、

なぜか? 

そもそも"どらえもんのび太のドラビアンナイト"がどこにあるのかもうわかんなかったからぁああ!!!
なくしたぁぁあああ!!!!!



そう、僕はあの日、DVDを見てからあのDVDの存在をキレイさっぱり忘れ去ってしまっていたのだ(本当になぜかわからないけど) て、事はだ。
当然あのDVDをどうしたのかももうわからないのだ。

僕は尋ねた。

"はい。すぐにお支払いは致します本当にごめんなさい。ただ、実はDVDが見当たらずどうしたものかと思っていたのですが..."

"あ、そうですか。大丈夫ですよ。そうしましたら、新品、もしくはそれに近い状態の商品を弁償していただければと思います。
延滞金のお支払いの際にでもこちらにお持ちいただければと思いますので宜しくお願い致します。"




だよね........




................................................................



結局僕は、
あの幸せな時間をしっかりとお金で購入していたのである。

"幸せはある意味お金では買えない。一瞬の刹那、僕はそう確信したのである" 

誰かの安価な名言の様にそんな事を書き記していた僕は、なんて滑稽な男なのだろうか。。。



僕の一瞬のユートピアは、間も無くして姿を消したのだった

いや、つーか俺、まじでなにやってんの。。。


...............................................................


皆様、春です。なんとなくボーッとしてしまう今日この頃。
暖かくとても美しい季節です。



皆様もユートピア、是非探してみてください。



それでは、さよなら

2025年3月25日火曜日

THE Asteraceae... Do you know オナモミ?

皆様こんにちは。
3月も下旬、春です。
新たな門出の季節。出会いもありますが、やはり別れもある。
人は様々な場面を通し、新たな人やモノ、出来事に出会い、そして別れていく。そんな一瞬の刹那の中で生きております。
それを強く感じる季節。それが今、"春"ではないでしょうか。



先日、クローゼットを整理していると懐かしいセーターを発見。
たくましい肉厚のウールボディにざっくりと編まれたクルーネックのラフなモノだ。

これは、都内某所のフリーマーケットで格安で購入したものである。
良くも悪くもデザインにてらいが一切なく至ってシンプルであった事、そして安価で購入出来たことも相まって出番は非常に多くとにかく寒かったらこれ着とけばいいや。位で本当によく着用していた。

何気なく袖を通し鏡に全身を写す

え?これ、まだいける。むしろなんか、かっこいいんじゃないか。
そう言えばなぜこんなに汎用性の高いモノを着用しなくなってしまったのだろうか

懐かしいお気に入りのセーターに身を包んだ僕は、上機嫌で犬の散歩に出かけた。



最近は気温も少しずつ上昇し、日中は暖かい日も多くなってきてとても過ごしやすい。その日も非常に心地の良い気候であった為、僕らは川沿いの心地の良い遊歩道を散歩していた。
すると、くりまるの毛の中に何かが入り込んでいる。
なんだろうか? 覗き込むと 

あぁ。

"オナモミ" だ。
オナモミとは通称"バカ"や"ひっつき虫"とも呼ばれるキク科の植物である。

以下資料抜粋
↓↓↓
キク科の一年草で空き地や河川敷、道端に自生。
オナモミの中にも種類がありますが、最近では外国からやってきたオオオナモミとイガオナモミが一般的です。
トゲトゲの先端には引っかけるかぎ針を持っていて、私たちの衣服をちょいっとつかんで種子を遠くへ運んでもらおうと待ち伏せしているわけです。
トゲは触ると痛いぐらいに丈夫なので、種子を運ぶ役割の他に、敵から身を守る鎧としても役立ちます。
↑↑↑
てなヤツ。

おそらく皆様も、この植物が衣類に付着してイヤになってしまった経験が一度はあるのではないだろうか。

やれやれ、少しカールしているくりまるの毛に付着したオナモミはなかなかどうして取るのが困難で、引っ張ればくりまるがイヤがり、優しくほぐそうとすれば奥へと潜り込んでしまう。
あぁ.........
もういい!と力一杯握るとイガイガととんがっているオナモミのボディに自分の手が食い込み激痛に見舞われる。

なんだこの植物。なんか本当に、好きになれない。。

と、心地の良い気候の中のエデンの河原が殺伐とした空気に支配されかけた頃
ふぅ...。ようやく1通りくりまるの中に侵入したオナモミを取り終えたのであった。

やれやれあぶない。せっかくの心地の良い1日が殺伐とした空気で台無しになるところであった。
さて、行くか。と ふと自分の胸辺りを触ると

いて! 。ん? あ、ヤツだ。 "オナモミ" だ。

チクショウ。俺にも付着していたか。そして衣類から取ろうとするとウールニットの為、オナモミと共に少量のウールがハラリと抜けていく。 
なに?これは、なんか、イヤだ。せっかく久しぶりに再会したニットなのに..。 だがまあいい。
1ヶ所ならば仕方ない。切り替えよう さあ 行くか

と、ふと腰の辺りに両手をのせると 

いってぇえ!! 。 あぁ? ヤツだ! オナモミだ!

またかよチクショウ! 丁寧にオナモミを取ろうとしたがなかなかとれない。
あぁもういいわ!と力一杯引っ張ると 

"ハラリ" 

うぅわぁああ!!思い出のニットの一部ぅーー!! と、またもオナモミと共に少量のウールも春の風に吹かれていく。

まぁまぁまぁ。まあいいわ! よし!もう行くぞ。

と ふと上半身の前部をパンパンと払う仕草をすると

いぃいいいってぇえええ!!!! いやあいつだろう??? 

ほらオナモミいぃいいい!!!

ちちちチックショウがぁぁああぁ!!! 

もういいわぁあああ!!と一旦ニットを勢いよく脱ぎ去ると 

えぇええ!!!背中にもビッシリオナモミぃいいぃひぃいいいいぃいいい!!!!!



帰宅した僕は、オナモミに寄生されたニットを思い出と共に捨て去った。
指定の大きなゴミ袋に抱かれた思い出のニットは、
どこか物憂げで、僕は暖かく穏やかな空気の中で、ほんの少しだけ感傷に浸った 



春です。皆様、一瞬の刹那を胸に楽しく過ごしていきましょう。

ではさよなら

2025年2月18日火曜日

fandango, once again

2月。

さみいよ。
今年は暖冬だ暖冬だ。なんて、そんな事言えど寒いものは寒い。どこに"暖"があるんだろうか全く。
早々に寒波が去り、とっとと暖かく朗らかな春へと向かいたいものです。

さて、そんな憂鬱な寒波に心身共に蝕まれている中、先日、私事ですが誕生日を迎えました。 
その日を境に僕は38歳となったわけでありますが。 

ああ..本当に時間が過ぎ去ったのだ

と、当日の早朝、洗面台に写し出された草臥れた自身の実像を目視し、そんな事をしみじみと思ったわけであります。

思い返せばロックミュージック、そんなモノに気が狂った様に卒倒したあの頃、数々の憧れのミュージシャン達が早死にだと言う事実を知った僕は、(特に27クラブと呼ばれた偉人たちにとても心惹かれたものである。所謂"中二病"と言うヤツであった)
あぁ..僕もきっと早々にこの世から去るのであろう。
何故ならば僕こそがロックに取り憑かれた新進気鋭の男なのだから。と、毎日狂喜に満ちた(フリ)思念をギターにぶつけ過ごしておりました。

が、気がつけば今の僕はどうだろうか?
ロックに取り憑かれるどころか一般思想にどっぷりと胡座をかいた男はとっくに27歳を過ぎ、38歳になっているではないか。
しかもそこそこに楽しくやらせてもらっている。

そしてやはり、鏡の前に写し出された38年分の"中古車"はそれ相応に朽ち果て、残酷なまでに自分自身にその事実を突き付けているのである。
だがしかし、皮肉にもこんな草臥れた中古車になった僕にも一抹の需要を見出だし、未だプレゼントなるモノをくれる賢者の様な方たちもおりまして、今年もありがたくポツリポツリと頂戴したわけであります。

美味しいお菓子。
興味をそそるタイトルの本。
健康グッズ。etc...

普段自分ではなかなか手に取らないであろうモノがもらえたりする。プレゼントではそう言ったある種自分の世界には無縁だった"モノや事"に出会えたりするのが楽しいものである。

そういった中でも今年、一際異彩を放つ世にも珍しいプレゼントをいただいたのです。。

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ブルルルルん!
けたたましいエンジン音を轟かせながら一台の高級車が店の駐車場で停止した。

よう!仕事中だけど寄ったわー!!

お店の近所から数分のところに住む友人が僕の誕生日前日、参上した(彼は以前ブログで書かせていただいた俺は不眠症だと偽った男である。2024年 7月 This
is a confession for ...参照 )

彼はコーヒーを注文し数十分寛ぐと 

あ、そう言えば明日誕生日だったよね?おめでとう。
お互い歳取ったなー!

そう僕に言った。

いやいや、もうおめでとうなんて年齢でもないよ。
まぁ、でも、ありがとう。

僕はおじさんがおじさんから誕生日にお祝いの言葉をもらうことに異様な滑稽さを感じ、ついつい後ろ向きな返答で応対した。
だが、照れ臭さもあったが仄かな嬉しさがあったのも事実である。

さてさて、じゃあ、俺行くわ!またなー!

彼は束の間の休憩を得たあと颯爽と仕事に戻っていった。 

さて僕も仕事に戻ろうか。店の入り口からすぐの大きなテーブルで寛いでいた彼の面影を片付けていると、ある事に気がついた。

ん、ない? んん? ないぞ?? あれ?

営業後コンビニにでも寄り、支払おうと思っていた自宅の電気料金の払込用紙。ソレがテーブルから消えている(そのテーブルは僕の作業台でもある為、だらしのない僕は私物をそのまま置いてしまっている事が多々あるのだ)

ここか? あそこか? 
長方形のテーブルの縁を"黒魔術か何かの儀"の如し腰を大きく折り曲げた姿勢で何周もするがどこにも見当たらない。

え、なんで。

失われてしまった。最初からそこにはそんなもの存在していなかったかのように。
電気料金の払込用紙は、完璧にこの世から喪失してしまったのである。
まるでその出来事は僕に、

"支払わなくたっていいんだよ" 

優しく凪ぐ春風のようにそう囁いている気がした。



いちいち払込用紙の所在等に時間を割いていられないのが大人ってもので。
そんな事はいつのまにか忘れ去り、気がつけば時刻は18時少し前、間も無くお店の閉店時間になろうとしていた...。

ブルルルルん!!!
けたたましい、心当たりのあるエンジン音を轟かせ誰かがやってきた。

オッスー!!またも寄ったぜー!!仕事終わったわー!!

彼だ。。。

だがなぜだ。なぜ日に2度も?
どちらかと言えば彼は変わり者に分類される人間に違いはないけれど、今までにこう言った行動をされた記憶が僕にはない。
ではなぜ。なぜ彼は2度も来店したのか?



彼はゆったりとこちら側に前進し、左の広角をクイッとあげ おもむろに左手をあげ、人差し指、中指、親指で軽くつまんだハガキ台サイズの"何か"をヒラヒラと団扇を彷彿させる動きであおいでいる。

むむ?よくみるとその"何か"は 

払込用紙だ!払込用紙なんや!!! だがなぜ!?なぜ彼の左手に他人の家の光熱費の支払い用紙があるのだ!?しかも、あの形状はおそらく、

"控え"だ!!控えなんや!!!

コンビニの店員さんがどんなに忙しい状況下であっても必ず切り取って"こちらお客様のお控えになります"
と、手渡してくれるあの代物だ!!!
と、なると...

支払い済みだ!!!支払い済みと言う事実を意味しているんやぁあああーーたぁあああん!!!

だがなぜ!一体なぜなんだぁあああ!!?



そして彼は言った。



"ハッピーバースデー 払っといたぜ?"

驚愕した僕は

"え?" 
たった1文字だけで応対した

やれやれ、と呆れた様な、それでいて無邪気な子供に対する余裕しゃくしゃくな大人の雰囲気を醸し出した様な。そんな絶妙な表情で彼は言った

"いや、だからプレゼントだよ。テーブルの支払い用紙無くなってただろ?気がつかなかったか?"

驚愕し言葉を失っている僕に向け、再度彼は左側の広角をクイッとあげ返答を待たず続けて言った



"払っといた         ぜ"



キタァアアアアアアアアアアアアアアああぁああ!!!!!

先月の電気料金タダァアアアアアアアアあああんん!!!!!

かっけぇぇええええええ!!!!!!!!(実際カッコよくない。むしろ怖い。)



補足だがこの友人
遠い昔の事ではあるが、信じられないほどの世間知らずであった。

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遥か昔、彼を含めた4人でほんの数ヶ月間、都内某所で暮らしていた事があるのだが、だらしなすぎる我々は電気の支払いを忘れ電気がストップする。といった事が何度もあった。
そのうち1度だけ、電気ストップ時に彼だけが家にいた事がある。ひとりぼっちでパニックになった彼は僕に電話をしてきたのだが、僕が電話口で リビングの戸棚にある(当時そこにまとめて光熱費の払込用紙をためていたのだ)"支払いカップ"を持ってコンビニで支払ってくれと指示をした。

※"カップ"とは当時を生きた人ならばご存知であろうが払込用紙に対する通り名である。(もしかすると今現在も生きた単語だろうか?)正式には"割賦"と書き分割払いを指す単語である。



その際彼は、光熱費の支払いをした経験がなかった為、本当に信じられない事だが、戸棚にあったそれっぽい(何を持ってしてそれっぽいと判断したかは未だ不明)と思った赤いスヌーピーのマグ"カップ"を持ってコンビニの店員さんに詰め寄ったと言う伝説を残した男である。

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20年前のあの日、スヌーピーのマグカップを片手にコンビニの店内をオロオロと徘徊していた彼は

20年後の今、自分の店のテーブルの周りをオロオロと徘徊していた僕に受領書の返還を果たしたのであった。





彼はタイムトラベラーだったのだ。



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時は残酷で、止まらずに流れていくけれど。
歳を取るのは悪くないな。と、そう思う今日この頃です。



とにもかくにも"公共料金の支払い"をプレゼントでいただいたのははじめてでした。
僕はおそらく、このプレゼントを生涯忘れる事はないだろう。



皆様にも門出の時
そんな時には高価なモノも良いですが、心に突き刺さり生涯忘れられそうにないモノ、事。そんな楽しいプレゼントが届きますように。



では、またね。