2024年になったそうです。
はい、
あけましておめでとうございます。本年も何卒、宜しくお願いいたします。
年明けの瞬間、みなさまはどんな"状態"で2024年をお迎えしたでしょうか。
なぜか重要視されているあの"瞬間"
12月31日 11時59分59秒~ 1月1日 0時00分 に切り替わるあの時、我々は何をして過ごすのか。
1年間を秒換算すると31,536,000秒となるのですが、あの瞬間の1秒だけは31,536,000秒の中でもとにかく重みをもった一瞬なのだろうと、
そう感じてしまうのは、物心ついた頃から
"年明けのとき、なにしてたのー?" そんな質問をされ続けてきた気がするからである。
ちなみに僕は、パッと陽の目をみるような年明けの瞬間に立ち会えた事は一度もなく、毎年ぼんやりとなんとなく年明けを迎えてしまっている。
巷では
"仲間とワイワイ飲んでいたよ"
"活気のある神社で厳かに元朝参りをしていたよ"
"大好きなパートナーと年越しのカウントダウンイベントに参加していたんだ"
なんて、様々な"あの瞬間エピソード"が語られる中、全くそういったエピソードには疎遠だったわたくし(自分が陰気すぎるから)だが今年は、今年こそは。
"俺は楽しくあの瞬間にいたのさ"
と、誰かに"エピソードマウント"をとってみたい。と、そう思い意気込んでいたのだ。
そして2024年、年明けの"あの瞬間"
結果的に僕は一体なにをしていたのか?
それは
犬<くりまる>が腹を壊し彼のお気に入りの芝生までダッシュしていた
です。
彼がブツを落とし、苦悶の表情から爽やかな表情に変わっていく中、僕は頬を細かく痙攣させながら、2024年。スタートです。
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小さな頃、あれは小学校低学年の頃だったろうか。
お正月の初日、姉と僕とで祖父の家へ遊びに行きました。当然二人とも<お年玉>目当てでのご挨拶だったわけだが、愛想もよく何に対しても要領のいい姉は軽い挨拶と共にさらりと華麗に"お年玉"を手に入れた。
それとは裏腹に当時の僕ときたら興味のある事や欲しい物にもつい伏し目がちになってしまい毎度惨憺たる様で、
"さて、幸大もお年玉欲しいか?"
なんて、そう問われた僕は
"え、いいよ。姉ちゃんにもあげて大変だろうし僕はいらないよ"
"はっはっは。そうか?本当にいらないのか?"
"ん?いいってば。なんか悪いし"
"そうか。わかった"
"う、うん。"
僕の脳内では、その後もう一度 "いいから持っていきなさい" そんな台詞が来ることを予想していた。
そしてその時には、くねくねと遠慮しがちではあるが、ハニカミながらも最高の笑顔を作りだし
"ありがとう。それじゃいただきます"と
お年玉を受け取る段取りだったのだ。
その後 "律儀な少年" と言う爺さんからのアセスメント的な"何か"+"現金"が手に入り、これで俺は最高の年始スタートが切れる。なんて計算していたのだが時既に遅し。
祖父からはその後、お年玉に関するワードは二度と発せられなかったのだ。
"今年も宜しくお願いします。それじゃいこうか"
姉が僕に声をかけた時、僕の中でなにかがハジケタ。
"ぅぅうおおおぉおおおぉお!じじいぃいいい!!お年玉よこせぇええぇえええぇええい!!!!"
そして俺は、爺さんに飛びかかっていったのだった。
その後の記憶はあまりないのですが、それから数年間、ジジイに会いにいけませんでした。
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なぜだろう。
用を済ませ、人の気持ちなんて知らん。と、爽やかな足取りで帰路につくくりまるの背中を見ていたらあの日の事を思い出しました。
これからの若い子達。
お年玉やお小遣い等は第一声目から素直にもらってしまいましょう。
さてさて、今年はゆっくりなスタート
1月11日<木>から営業開始となります。
改めまして本年も、Route99を宜しくお願いいたします。
高橋幸大